なでしこジャパン(2)

なでしこジャパン(2)

東日本大震災では現場の生々しい映像が世界中に配信された。写真や動画を撮れる携帯電話のおかげだった。テレビやラジオは電気が止まると役に立たない。ガソリンも電気がなければ注入できない。混乱状態の中でバッテリーさえあれば活躍できる携帯電話の有用性が周知された。大震災は新しい情報社会の到来を促進した。
以前に書いたが、浜辺に打ち上げられた小型金庫の写真をめぐる千人以上の書き込みに出会った。次から次へとなされる書き込みに驚きながらアメリカ人のユーモアと積極性を見た。新聞を読みテレビを見るだけの環境は変わっているようだった。
ネットの要約記事を見てタイトルや写真をクリックすることに慣れた。産経新聞にニュースのまとめサイトがあり、サンケイニュースを読むようになった。
記事の画面に広告のような別のサイトのアドレスがあった。それらをクリックするとサンケイとは関係ない個人やグループが出てくる。ブログという名を知った。ブログを梯子する日が続いた。
あるブログは論評するたびに団塊世代が諸悪の根源と決め付けていた。団塊世代から見れば気持ちよくないが、指摘の九割には納得した。保守親父のブログもあった。会社経営しながら毎日のように記事を上げている。投稿者とのやりとりが面白かった。

いつだったか思い出せないが、皇室に関する問題を扱っているブログを見つけた。一つや二つではなく、常時二十を越えるブログ群があるようだった。ブログ間で非難しあったり応援しあったりしている。別世界があった。
皇室は殿上人の世界だと思っていたし、歴史的にも政治的にも手が届くところの話ではないので関心は薄かった。今上天皇が第百二十五代で女系天皇は概念としても実在しないくらいの知識で停滞していた。皇室問題を語り合うって可能なのか、不敬に当たらないか。正確な情報は得られるのか。
そしてある女性のブログに目が止まった。閲覧者が多くランキング上位に入っていた。毎日のように記事が更新されるのだが、一記事に対して平均二十件以上の書き込みがあった。時には百件以上のコメントが集中するといえばどれほどの人気ブログであるか想像がつくだろう。毎日二万人以上のアクセスがあるとブログ主が書いている。
現ブログには五年以上の過去記事があった。最初に立ち上げたブログは十年以上前だからベテランだ。記事だけでなくコメントの質が高い。上品な日本語が行き交い、知らない情報が満載だった。日替わりの最新記事を読んだ後、過去記事を遡って漁る日々が続いた。すべての過去記事を読了するのに一ヶ月かかった。それから二年ほどは更新を追いかけ、皇室の現状、過去未来について勉強した。
皇居の奥に鎮座ましますすめらみことの観念だけでは、天皇と自分との繋がりや国家国民との関係が実感できない。日本の中心は天皇だが、日本とは何か、中心とは何か、天皇の人格や思想は問題にならないのかなど多くの視点があることを知った。個人ブログを読むことによって天皇と天皇がいます国が身近になった。
ブログ主は異見を受け入れ論争を奨励する姿勢で、参加者が大いに議論して確実な知識を得るのを助ける方針だと明らかにしていた。だからコメントは歓迎なのだ。愛国心と世界観と知識と文章力に自信がある証拠だ。
投稿する人々もまた、篤い愛国心を持つと同時に文章の達人である方々が多かった。出版すれば論文集や資料集として立派に通用する。自らのブログを持っている方も多かった。
文章力で敵わないと思ったことは多々あるが、わかりやすい例を示す。感興が湧いたのでと断って、和歌を投稿する方がおられた。すると、では私もといって返歌というか、関連する和歌が書き込まれる。別の人がまた和歌と感想を披露するというリズムで投稿が続くことがある。和歌とともに見事なやりとりを堪能させてもらった。和歌を詠む知識と文才と感性はどうしたら得られるのか。
天皇位は万世一系、男系男子で継承されてきた。だから男性のブログが天皇擁護の論陣を張るのは当たり前だ。表面的なロジックではそれで終わり。しかしそれでは男尊女卑思想とか攻撃されやすい。女性が男系男子を擁護するなら鉄壁の守護神だ。
男系天皇の下に国民として男と女がいる。ひとりひとり独特の人生がある。それぞれ異なる見方を持ち能力経験が違う。男女間の自己主張や権利闘争など天皇の下では意味がない。男女協力して伝統的天皇位を支えるのが理想的だ。
ブログ群を見わたすと、天皇守護の志操はこの女性ブログが格段に強いように思われた。記事も書き込みも簡潔華麗な文章で、情報の多彩さ正確さは頭を抜いていた。男性投稿者も参加していた。教養の深い日本人が静かに誠実に関心を寄せ守護しているから天皇位は続いてきた。

女性宮家推進者や、女性女系天皇推しの政治家や有名人は少なくない。彼らは近代思想のつもりで男女平等や英王室を見習えなどを理由に挙げる。側室が居なければ男系は絶えるとか皇族の減少とか持ち出す。国民を混乱させる目的で大口を叩く。
このような為にする偽情報は Misinformation というが、皇族の減少はアメリカ占領軍の政策が根本原因だったことを言わない。さらに神武天皇の血を継いでおられる天皇位を継承される資格のある方は、現在でも百二十名以上おられることに触れない。まず正しい情報を知ることが肝要だ。
女性が筆鋒鋭く女性宮家推進者や女系天皇賛成者を攻撃論破するのを見るのは痛快だった。深く戦後教育に侵されているはずなのに、西欧文明発の男女同権思想や階級闘争史観によるフェミニズムは超えられていた。戦後の偏向教育は賢い大和撫子によって乗り越えられている。大学の教授たちや文科省の役人たちの方が古臭く狂っている。
しかしながら、投稿者の多くは戦後教育から出発しているらしい。どういうことかというと、たとえば、テレビや映画はすべて戦後に作られたと思い込んでいるようだ。重要な情報の一つとして映画があるが、ブログでは戦前の映画にまで遡って議論されたことはなかった。
原節子の「青い山脈」は戦後作られた。女学校が舞台で、新任の原節子と古参の先生との見方の違いがテーマだ。自由恋愛は賛美、伝統的価値観は陋習とされる。ところが問題を深く見つめるのではなく主人公の医者が襲われる。暴力が政治と社会の一要素になった。戦後、暴力は映画の必要条件だと刷り込まれた。
戦前作の、田中きぬよ主演の「愛染かつら」も恋愛物語だが、女性看護婦たちが大活躍する。登場人物が伸び伸びと飛び跳ねるあいだ、陰謀策謀、暴力沙汰めいた場面はない。信頼と明るさと清純さと透明さは戦前日本に充ち満ちていた。誰が暴力を持ち込んだのか。梅棹忠夫「文明の生態史観」に暴力が歴史を変えるとあったような。
戦後教育から出発するということは、アメリカ占領政策で変わった日本精神と感覚から物事を判断するということだ。洗脳された戦後教育を克服し、自分がよって立つ精神的美的基盤を疑うことは難しい。
古事記は神武王朝を支える文書でもあり、現天皇も古事記の権威によって即位された。神話的には天照大神の子孫が天皇だ。今では遺伝学からみて、天皇はすべて同じY染色体を継承しておられると認識されている。
歴史的には、日本民族は古事記編纂以前から存続し、細石器文明、縄文文明を創った。文字で記録されなかった日本文明は、確認されているだけで三万年以上続く。縄文文明をどう捉えるか、文字による理解はどこまで信頼できるか。古事記に書ききれなかった真実が日本文明には蔵されてあるのではないか。

ブログを無料で読んで天皇と皇室について勉強させてもらった。授業料なしで知識を得るのは窃盗に当たるかも。何か恩返しはできないか。自分もコメントすれば貢献できるのではないか。一行でも二万人の目に晒されるのだが。

なでしこジャパン

なでしこジャパン      12・20・2011

七月十六日、ジムで走っているとテレビ放送が流れていた。女性レポーターがマイクを持って話す。「明日はフランクフルトで、女子サッカー世界選手権の決勝戦があります。アメリカチームはこれまで奇跡的な逆転の連続で勝ち上がってきました。選手たちは万全の態勢で最後の試合に臨みます。世界チャンピオンまであと一日です。相手は日本です。」続けて、「日本とは過去25戦して負けたことがありません。」とにっこり微笑んだ。
女子がサッカー?、世界選手権?そして決勝戦で戦う?なんて考えたことなかったのでびっくりした。それにしても相手がアメリカではもうダメだろうと、レポーターの余裕に同調した。
翌日参禅者が引き上げてからヤフーニュースを開いた。なでしこジャパン逆転優勝の見出しが飛び込んできた。三月十一日の東日本大震災以降暗いニュースが続いたなかで爽やかなホームランだった。
ヤフーの記事は短文で客観的だった。前日の入れあげ様に比べると期待を裏切られた。負けたから微に入り細にわたって書く気にならなかったのだろう。読者だって負け組について色々読みたくない。それよりも日本チーム称賛の論調に驚いた。判官贔屓がアメリカにもあった。大地震、大津波で打ちひしがれているかわいそうな日本人よ頑張れという気分が漲っていた。
動画もあったが、映画の一部分を短く切り取っただけに見えた。詳しいことはわからない。今から振り返れば、ユーチューブが普通になる前だった。技術的にも映像的にも未熟であって不思議はない。十年後の洗練された動画の方が瞬間のテクニックや現場の雰囲気をよく伝えている。
スポーツ誌は特集を組んだ。もっとも起こりそうでなかった勝利と書かれていた。体格の差がある、競技人口がまるで違う。なでしことヤンキー娘ではスポーツに対する態度が根本的に異なる。前日まで女子サッカーの世界大会を知らなかった日本人は自分を含めて大勢いただろう。前評判が低いチームだったが、決定的瞬間に勝利を手にした快挙は手放しで素晴らしいと結ばれていた。
勝利を決定的にした数枚の写真があった。二転三転の攻防だったので名場面が多い。その中で、勝利確定直後に中央に駆け寄ろうとする五人の選手の写真が印象的だった。駆け出そうとする姿勢は、全員が虎が走り出そうとするような気迫に満ちていた。上半身の傾き具合と一歩踏み出そうとする脚の角度が、身をもって走り込んだ厳しい練習を表していた。
七月末の通信で次の様に書いた。「女子サッカー世界選手権大会でなでしこジャパンが優勝した。これは伝統の勝利であり、神話の再創造である。日本には国難が迫ると女性が立ち上がって困難を乗り越える伝統がある。今回の国難は千年に一度と言われる東日本大震災だ。大津波と福島原発の爆発もあった。暗い現実と不快なニュースだけが続いた。日本中が欣喜する初めての朗報は女性チームによってもたらされた。神話は千三百年前に書かれた。そこでは天照大御神が国母とされている。かくのごときドラマをわが目でみようとは夢にも思わなかった。」

日本最大の国難は第二次世界大戦と戦後処理だった。国を挙げての大事件、大変革が続いたので何が問題か分かり辛い。情報隠蔽もあるし偏向報道も酷かった。自国や自国民や歴史のつながりをどう考えるか混乱が続いている。平和ボケ、お花畑にもなりたくなる。「アメリカと戦争したの?」という、原型はアメリカ発のジョークで笑ってごまかす。困難事の片鱗すら記憶にない人が多くなった。
昭和二十七年の夏だった。暑い昼下がり、近所の大人が集まって話をしていた。情報交換の場だ。広島に新型爆弾が落ちたそうだという声が聞こえた。それから新型、爆弾、広島はずっと意識の底に残った。当時はビーニジュークが来た!と叫んでかくれんぼしていた。B29爆撃機のことだった。戦争の名残が所々で見られた頃だった。何人か傷痍軍人も居た。
貧しい山間部の村だったから情報伝達が遅かったのかなと思った。広島に原爆が投下されたのは終戦直前の八月六日だった。七年経ってから新しいニュースを聞くように大人が話題にしている。バカじゃないかと思った。早く正しい情報を知ることはいつの時代も大切なことだ。
二十一世紀に入った頃、「閉ざされた言語空間」(江藤淳)に出会った。情報統制がマッカーサー司令部によってなされたと第一次資料を駆使して解き明かされた書物だった。そこでは広島原爆の話題は報道禁止になっていた。日本独立まで原爆について語ることはできなかったのだ。あの暑い夏は日本が独立した年だった。原爆報道が解禁になり、田舎の大人たちも事実を知りその意味を語り合っていたのだった。
情報の遮断や偏向が自分自身の心と見方を変える力があると実感した。ということは現在の見方や知識も、事実真実ではなくて偏向した情報や少知によって出来上がっているのかもしれない。その可能性のほうが高い。自分の見方や意見に自信がなくなった。自分とは何だろうか。

鈴木貫太郎首相はポツダム宣言受諾が決定された後すぐに辞職した。終戦に導くまでが自分の使命と割り切って仕事されたことがよく分かる。偉大な宰相だった。使命感だけでご老体に鞭打って責務を果たされた。二・二六事件で負傷されていたから普通の老人以上に大変だったはずだ。
後を継いで東久邇稔彦総理大臣が指名され、八月十七日に内閣が発足し、十月九日まで戦後処理の任務に当られた。昭和天皇に一番近い皇族の一人だった。日本を任せられる人材は払底していた。戦争の惨禍は凄まじかった。
マッカーサーが厚木飛行場に降り立ったのだが、最初に発した命令の一つは慰安所、いわゆる売春宿の設置だったそうだ。日本軍は欧米植民地へ攻め入ったのだが、占領地で同じような命令を発しただろうか。日本人の常識にはない発想だ。
主権を失った日本である。総理大臣は命令を聞くしかない。詳しいことは知らないが、首相は吉原の娼妓界を統べている女性に、花魁というのかな、日本の婦女子を守るために力を貸してほしいと懇願された。最高権力者が卑しい職業だとされている女性に頭を下げた。その結果日本は生き延びた。
昭和天皇の側近中の側近が吉原で頭を下げるなんてひどいことだと思うだろう。しかし終戦まもなくの日本ではもっとひどいことが方々で起こっていた。考えるのも嫌なのだが、本でもネットでも様々な情報があるから関心ある方は調べてほしい。
簡単に言うと第二次大戦後日本では男がいなかった。国家の担い手は女性だった。戦前から女性は強かったと思うのだが、戦後はますます強くなった。それは男女平等とかの観念ではなく、実際に国家を救ったからだと思う。
日本人は国家として民族として、何が正義で何を守らねばならないか。「パール判事の日本無罪論」(田中正明)は基本文書だ。本書を読むと、論壇、学者間で論争が数々あったが、いずれも枝葉末節な言いがかりの類いだったと分かる。この一冊で戦後の問題はほぼ把握できていたのに、時間を無駄にしてしまった。

MUJHSE DOSTI KAROGE! (4)

MUJHSE DOSTI KAROGE! (4) 番外編

「久しぶりだね。十年ぶりなので見間違えた。あの頃は投資会社で働いていたけど今も同じかな?元気だった?」
「あれからソフトウェアの会社を興したのだが、三年前に不況に陥ったので会社をたたんだ。今は別の会社で働いている。」
「インド人は数理に強いと聞いたけど、その強みを生かしたわけだ。インドのどこ出身だっけ。」
「ラジプトだ。現在はラジャスタンという。パキスタンとの国境に近い。」
「そこは JODHAA AKBAR というボリウッド映画の舞台じゃないか。映画は歴史に残る超大作だ。豪華キャストで最高だった。」
「ボリウッド映画は大好きだが、日本人の君がどうして知っているんだ。」
「二年前に MUJHSE DOSTI KAROGE! をゴミ捨て場で見つけてから病みつきになった。二百回以上見たよ。仏教教典の中では妙法蓮華経にあたるかな。最高傑作という意味だ。俳優がいい、シナリオがいい、音楽がいい、ダンスがいい、演技に惚れ惚れする。インドの映画は素晴らしい。以来めぼしい作品を見ているが、JODHAA AKBAR は歴史物として一級品だ。」
「MUJHSE DOSTI KAROGE! はまだ見ていない。ここでボリウッド映画の話が出てくるなんて、因縁というか、業というか、運命というか。」
「いや大発見と言おうじゃないか。おれの法華経は見るべきだよ。ハミングに圧倒された。人生観、世界観、仏教観まで変わった。」
「法華経といえばサンスクリットの原本があるかなあ。調べてみる。鳩摩羅什の翻訳はよく知られている。」
「ぜひ調べてくれ。もしサンスクリット本がなければ、世界中で法華経を読めるのは日本人だけということになる。」
「鳩摩羅什は中国語に訳したんじゃなかったのか。」
「その通りだが、毛沢東が漢字を無原則に簡略化してしまった。だから中国では古典は読まれない。人類史上に燦然と輝く名訳を読めるのは日本人だけになった。創価学会は法華経を読む集団だ。過激で好きじゃなかったけれど、彼らの活動は無意識的に人類の遺産を継承する活動なのかもしれない。インドも日本も存続の文明なんだよ。JODHAA AKBAR には象が出てくる。」
「二百頭くらいいるね。COMPUTER GRAPHICS も使っているんじゃないかな。」
「ラジプトでは象が村の中を歩いているだろう。」
「うんよく見る。象は草食動物でおとなしい。みんなに大事にされている。」
「おれの方がインドについては詳しいみたいだ。(笑)それではハリウッド映画にはなぜ象が出てこないと思う。」
「象がいないからだろ。」
「彼らも象がどこにいるかは知っているんだ。しかしたくさん目の前に居ないと象の映像を撮ってやろうと発想できない。調教師が必要だし化粧もしなければならない。食料も大量だし運搬も一苦労だ。人と共存しなければ映画にまではならない。存続があって初めて象の存在を映像化できるんだ。」
「アメリカには象は居なかったのだから問題ありとは思わないけどな。」
「アメリカ狼は絶滅した。国立公園にカナダ狼を輸入している。バッファローは食肉用だけ。西欧文明は人間主義というが、動植物を絶滅してきた文明のように見える。’ベン ハー’ や ’十戒’ にも象は出てこない。」
「映画の舞台は中東の砂漠だよ。」
「ハンニバル戦役は知っているだろう。」
「象をアルプス越えさせた話しか。」
「ハンニバルは敵国で十年以上連戦連勝だった。希有の名将だった。しかし彼も戦術を研究されて、201BC のザマの決戦でローマの若き将軍スキピオに敗れた。そのとき八十頭の象を正面に押し立てて戦った。うまくかわされたけれども。講和条約には、カルタゴのすべての軍象をローマに引き渡すという条項があった。
ローマ軍の主力戦闘部隊は重装歩兵で、甲冑と槍や剣で武装した兵士たちが人間の壁のようになって戦った。ローマは人間力が勝って作った国だ。兵士自身も国民も人間力の偉大さを実感した。勝つのは気持ちいい。それがヒューマニズムだ。そして象は地中海沿岸から消滅した。人が栄えて象が滅んだ。」
「文明論が好きなんだな。」
「ハンニバルは第二次ポエニ戦役で戦った。その頃は象軍を作ろうと思えばできるほど象がたくさん居た。第三次戦役のあと、ローマはカルタゴの地に塩を撒いて農耕できないようにした。農産物が主要産業だと知った上での政策だ。豊かな農耕地を不毛の砂漠にする感覚はどこから出てくるのか。どうした。」
「憂鬱になってきた。」
「 ’十戒’ はハンニバルより1000年以上前の話しだ。だからもっとたくさん象が居たはずだがどこにも出てこない。チャールトン ヘストンより小さい鶏やヤギや犬とかばかり。エジプトがローマ領に組み入れられた理由の一つは小麦の供給地だったからだ。その頃はレバノン杉も鬱蒼としていたしシチリアも靴の半島も樹木が繁っていた。なぜ分かるかというとその木でローマの軍船を作ったからだ。映画では単調な砂漠の光景ばかりだ。」
「ボリウッド映画に興味があるなら CHAKDE! を勧める。インドの国民的映画だ。満足できると思うよ。」

インドを旅したひとに聞くと、村の中を象が悠々と歩いているそうである。牛だけが保護されているのではなかった、多くの生き物が人とともに共生している。牛を殺さないのは神聖な生き物だと信仰されていると聞いたが、本当の理由は別のところにあるのかもしれない。結果として牛だけでなく他の多くの生物も存続してきた。
唯物論、孤人主義の西欧文明圏からは大型獣も大森林も姿を消した。それは存在と時間、実は非存在と無時間の思想を人が実践した結果ではないか。無存続の思想を実践すれば多くの種が存続しなくなる。存続しないものは実在しない。実在しないものは想像できない、映画を作ることもできない。
インド文明は古代からなぜか実在は存続、存続が一等大事だと気付いた。実在は存続で存続の変化が原因結果の法則で理論化され、五千年前から大前提となった。因果といい因縁というのは存続を理論化したものだ。存続を第一義にして数千年、ボリウッド映画は世界最大の娯楽大作を作った。そこでは人より大きい象やラクダが活躍している。

MUJHSE DOSTI KAROGE!(3)

MUJHSE DOSTI KAROGE! (3)     06/28/2011

MUJHSE DOSTI KAROGE! の主題歌はハミングだ。全編を通して様々に編曲しながら何度も流れる。どれも魂が洗われるような、同時に生きる力が湧いてくるような清冽な響きがする。
ハミングを横たわりながら真似するのは難しかった。何度も試してなんとかトーンは手に入れたが、力強さと柔軟さはどうしてもモノにならない。発声法がわからないからだろう。
体力回復のためにジムで走り始めたとき、呼吸法を知らないことに気がついた。すぐ苦しくなる。走りながらハミングを試してみた。すると吐くとか吸うとか考える必要がなくなり途端に楽になった。映画の主題歌は呼吸のリズムにぴったり合っていた。生命のリズムに合っていたというべきか。
ハミングを聴きながら、妙法蓮華経にある「此の経を誦する者は記を受く。」という一節を思い出した。誦すとは声に出して文章を読むことで、誦経と書けばお経を声を出して読むことだ。お寺でときどき僧侶が集まって経典を読む儀式がある。記を受くとは漢文では受記だ。記は未来に成仏する約束のことで現在の修行が間違っていないことを証明する。妙法蓮華経を声を出して読む者は未来に成仏する。
お経は文字で書いてある、ほとんどは漢字だ。漢字を読むということは、日本人は普通には目で読む、黙読する。だからお寺で読経するとわざとらしく見える、芝居しているのではないかと。この辺り、雑行雑修と笑われることがある。
黙読は目と脳の働きですむ。声を出すにはまず喉の筋肉が動く必要がある。発声には頭、口、鼻、喉、胸、肺、背骨から腹の筋肉の動きまで関係している。美声、正声を出すにはどうすればよいか。全身の筋肉から感情まで関与することになる。正しい誦経をするには完璧な発声が肝要で、実際にはそんなことができれば仏にもなれるということだ。
他の映画を見ると、インドでは古くから歌いながら教理を覚えたり、先生の恩を称えたり、神々や弓矢や剣の徳を拝んだりしている。武芸も音楽とともに学び、文章も声を出して学習するのが伝統のようだ。
印欧語は表音文字と言われるが、文字より先に音声が来る。彼らは声に出すことを恐れない。発声は全身運動である。口数が少ないというだけで運動量が足りないという考え方もありうる。映画の主題歌であるハミングが自分の人生観を変えたというのは大袈裟ではない。
翻って日本人に引っ込み思案が多いのは日本語が表絵文字だからだろう。声を交換して知識や意味を伝えるのではなく、絵を見ることによって理解するのが基本だ。文章だってひらがな、カタカナ、漢字と書き分ける。文章が絵になっている。よくも悪しくも絵に頼りすぎるところがある。

インドの音楽はベーダ文学の頃からの伝統で、五千年以上の歴史を持つと教えてくれた人もいる。待てよ、インドには歴史が無いと学生時代に哲学思想としてよく聞いた。歴史が無い思想があるというのだ。あれはなんだったのか。単なる嘘だったのかもしれない、偏見や誤解だったのかもしれない、学者が研究しなかったのかもしれない。
マハーバーラタという物語がある。1990年頃インドでテレビ放送された。放送時間には街から人影が絶えた伝説を持つ。一年を通して放送され、インドの魂をインドの放送局が描ききった。画像はぼやけているが、かえって重厚さが漂う。16枚の DVD に納められて見終わるには六十時間かかる。
原作は国民的叙事物語で五千年前頃に作られ、時間の経過とともに増補修正が繰り返された。ストーリーは多彩で甚深、数々の場面で人間の深層心理が抉り出される。マハーバーラタからは学術論文が何本書けるかわからない。インド人はそれほど充実している内容を頭の中にいれて生活している。現実を見てもほとんどの事柄は物語の中で語られ解決されたことばかりだ。彼らが落ち着いて見えるのも腑に落ちる。
第二次大戦後、日本だけが悪事をしたと決めつけられ洗脳されたものだが、インドについても同じようなことが外国勢力からされているのかもしれない。真相はこれからインド人自身が明らかにするだろう。何しろ世界一雄大な最古の物語を共有している人々の国なのだ。

インドの映画ではめでたいことがあると当人にお菓子を食べさせる。口を開けているところへおめでとうと言ってお菓子を放り込む。儀式になっている。我が手で食べるのではない。初め違和感があった、アメリカでは不可能な行動だ。慣れてくると、お布施の原型を見ているのかと見直した。人に与えるのが当たり前にできる社会がインドだった。だから仏教の第一の教えは布施であり得たし、仏教徒は托鉢しながら貰い物で生きることができた。西洋近代思想である唯物論、孤人主義、資本主義、マルクス主義と、学校で習ったことはことごとく掠奪思想だった。
インドに行ったことのあるアメリカ人は多い。至る所で力強い音楽を聞いたそうである。周りに迷惑かけないようにヘッドフォンをつける感覚とは異なるようだ。映画では超ミニスカートを着ているのだが、普通の風俗だという。村では象が悠々と散歩している。映画はただのフィクションじゃなかった。
MUJHSE DOSTI KAROGE! は十五年間の物語である。その間ずっと想い続けた方が結婚にたどり着く筋書きになっている。これは因果応報、因縁果の法則でもある。ある本には、インド人は因果律を思考すること先天的と言ってもいいくらいだとあった。たしかに他のボリウッド映画でも時間軸が長く因果律を踏まえている。観客が結果を納得しやすい。ヒンズー文明から生まれた仏教は因果律を基礎に置く。
ロミオとジュリエットが二、三日の事件なのを始め、洋画で因果律を強く意識した映画は少ない。それより因果関係をくらませる物語が多い。爆発が多用されるのは一例だ。インド人が数理に強く、ハイテク産業で重要な役割を果たしているのは、因果の論理が骨に染み込んでいるからに違いない。

音楽とダンスで映画は始まるのだが、ヒップホップダンスに似ているのでえっと思った。最初のボリウッド映画だから違和感ばかりではあった。後でボリウッドダンスがあるのを知った。近くの大学では学生相手のサークル活動もあった。ダンスは体を動かす間に楽しくなり健康になる。社交ダンスだけでなくベリーダンスやヒップホップなど幸せを演出するには手っ取り早い。そしてボリウッド映画はあらゆるダンスを取り入れようと努力してきた。
映画は最先端の大衆芸術だから国の勃興期には健康で明るい名作が製作される。アメリカでは1930年代に’風と共に去りぬ’ができた。空前絶後のヒット作で興行収入では時価換算で今でもダントツの記録を保持する。フレッド アステアとジンジャー ロジャーズのタップダンスの数々の映画も同じ頃作られた。大恐慌のさなかでも人々は明るい健康な映画を見ながら気分を奮い立たせた。
ボンベイで次々と大作が作られるのは国の興隆期だからだろう。画面に一万人以上が映ったり、数千人のダンスがあったり、二百頭の象軍が出てくるなどスケールが大きい。砂漠、川、山と知らなかった亜大陸が紹介される。何よりも台詞が多い。インド人がいかにお喋りかわかる。表音文字の国で言葉の本が音だという背景が映画芸術にぴったりあっている。
興味が次々と湧いて数々のボリウッド映画を梯子した。それでも MUJHSE DOSTI KAROGE! は最高傑作だ。此の映画は恋愛とは何かという永遠の課題に取り組んだ。因習や暴力や悲劇で誤魔化すことなく、愛の論理だけで原因と結果を追求し、そして成功した。明るく健康で希望を与える映画だ。
インド人は世界で唯一、知恵とは何かと問題提起し追求した。その解答者としてヒンズー文明を超えた釈尊が現れ、大乗仏教をも起こした。恋愛を扱うくらいはむしろ娯楽の一つだったと言えよう。
終わり

MUJHSE DOSTI KAROGE!(2)

MUJHSE DOSTI KAROGE! (2)             06/28/2011

MUJHSE DOSTI KAROGE! は青春映画、純愛映画として最高傑作である。永遠に残る名作だ。中休み場面の図柄は目の裏に焼きつく。若い美男美女三人の物語でかっこ良すぎるけれども、人生を考える時の良いモデルになる。
ハリウッド映画に代表される洋画には恋愛映画はどう位置づけられるのか。永遠の純愛映画としてロミオとジュリエットも撮られた。ロミオとジュリエットはシェイクスピアの三大悲劇の一つとされている。恋人になる二人は街の中で対立する金持ちの二つの、それぞれの名家に生まれた。抗争を設定された中で若い二人が恋に落ちる。敵対と結び付きの相反するベクトルの中では悲劇の結果しかない。最高の純愛は死に至る法則でもあるのだろうか。
悲しい物語だから悲劇なのだが、悲劇の原因は二大名家の抗争である。既存の家同士は過去の因縁を引きずってきた。若い二人の出現は既存秩序の破壊である。同時に希望の星である。希望の星を死に追いやる既存体勢は悪だ。悪は断絶すべきである。恋愛物語から革命暴力思想が誕生した。
ウェストサイド物語はロミオとジュリエットの翻案で、ハリウッド映画の最高傑作だ。オリジナルと同じように抗争の末二人が死に、アントンが撃たれる。マリアが立ち去って純愛は悲劇で終わる。西欧近代文明の本質を表しているのだろうか。
純愛が純愛として完結する MUJHSE DOSTI KAROGE! は西欧近代文明に対するアンチテーゼに見える。インド人は唯心論者である。唯物論のような未熟な思考法は数千年前に卒業している。ハリウッドが気がつかない間に、映画の都を凌駕する質の高い映画が製作された。
この映画でも恋愛結婚願望は語られる。若い男女が惹きつけられるわけだから恋愛が問題になるのは当然だ。それでも物語の筋を追っていくと見合い結婚のプロセスに似ている。いつも三人の両親が見守っている。若人たちも家族の絆と友情関係を維持しようと心を砕く。暴力はない、策謀もない、親との家族関係はそのまま。若い世代がヒンズー教の儀式で結婚して新しい家庭が作られる。
「恋愛結婚は安物だ!」映画を見終わった感想だった。するとキスの氾濫に辟易したはずのアメリカ人が、「それは公言しないほうがいいよ。」と言った。恋愛結婚は純愛の悲劇と同じように西欧社会にとって必需品なのだろう。彼の言葉で再確認できたのは、西欧文明は個人を素にした文明だということだ。
個人は孤人でもある。孤独な個人同士だから各人が結婚相手を見つけなければならない。見合い結婚する思想も環境もないし実例もない。恋愛結婚の可能性しかないと条件づけられている。恋愛結婚という甘美な響きを最高と思わせるために見合い結婚は前時代的、強制的と貶めた。
アメリカにもメロン財閥やロックフェラー、ヴァンダービルトなど大金持ちがいる。彼らの子弟たちが恋愛結婚したとは聞かない。政略結婚は聞いたことがあるが、要するに見合い結婚だろう。富豪の家族は子供を最大限保護して面倒を見、子供もまた成人して富裕な保護者社会の中で結婚相手を見つける。見合い結婚はカネがかかる。日本だって裕福な家族は結婚まで面倒を見る。
恋愛結婚は貧乏人の手軽な結婚方法ということになる。学校で習った頃は、見合い結婚は旧弊な制度で、恋愛結婚こそ近代的理想的という二分法だった。日本では第二次大戦後も見合い結婚が多かった。伝統的と貶められたが、見方を変えれば、西欧社会では大富豪しかできないことを一般庶民が実践している贅沢ではなかったか。
見合い結婚は家族や複数の人々が二人の結婚に関わる。相応の出費もある。お互い社会人としての常識を持つことも要求される。話し合いと付き合いをしているうちに人生観も修正されまともになる。困難に直面するときの対処方法も学んでいく。結婚生活には純愛だけではなく慈悲心の自覚も必要だ。大人の誕生だ。
今の日本では恋愛結婚しか語られない。十代、二十代の男女に何がわかるだろうか。自分とは何か、相手は本当はどんな人か、子供はどうする、親との関係は、将来の見通しは、などなどわからないことばかりだろう。
多くの青年男女はいつの世も世間人生の事柄に精通していない。そんな状態で一人で生活を支え、一人で相手を見つけて結婚まで持っていくのは大変だ。親も自由だ、自己責任だと言って干渉せず助言しないのが普通だろう。孤人社会の到来だ。誰が孤人社会を望んだのか。大新聞か、学校か、近代思想か、外国勢力か。
以下の話は英語のサイトから見つけた。
”アメリカで長年仕事しているインド人のハイテク技術者が、友人の息子の結婚式に招待されたので故郷に帰った。式場についてすぐ、花嫁は低いカーストの出身であることに気がついた。それで友人にカーストの件を指摘し、この結婚は大丈夫かと尋ねた。するとその友人は、「息子はモルガンスタンレーで働いている、花嫁はゴールドマンサックスだ。どちらも超一流の銀行、同じカーストだよ。」と答えた。”
インドといえば生まれで差別する厳しいカースト制度が想像されるが、実態は融通無碍の面もあるらしい。参列者によると、インド人の結婚式では四日間踊り明かすそうである。華美を慎めなどは笑い飛ばされる。だから結婚式ビジネスが栄える。単独で費用を捻出するのは大変だが、持ち回りで助け合いながら付き合いが続く。
ボリウッド映画は踊りと音楽の比重が大きい。踊りは一流で、盆踊りのように大勢の人が参加する形式が多い。画面からは楽しんでいるだけに見えるが、実際は長年の練習が必要らしい。披露宴で映画の真似をしようとする人も現れる。映画が社会の慣習を後押しした。子供たちはダンス教室に通うのが当然だという。

MUJHSE DOSTI KAROGE! (1)

MUJHSE DOSTI KAROGE! (1)        06/28/2011

MUJHSE DOSTI KAROGE! はインド製映画、ボンベイの資本家が作るのでハリウッドと掛けてボリウッド映画と称される。ハリウッドより製作本数が二倍多い。その中の一本だが、観た途端人生観、世界観が一変した。昔の日本人で妙法蓮華経を読んで人生が変わった人は少なくない。そんな運命的な出会いを感じた映画である。
2009年の秋、肩を痛めて仕事ができなくなっていた九月の末、ゴミ捨て場で一本のビデオテープを拾った。それは DVD のコピーで、 MUJHSE DOSTI KAROGE! とタイプしてあった。ローマ字だが意味がわからない。英語でもなさそう。いろいろ探ってみて、ヒンズー語で「わたし、ともだち、する」に対応すると教わった。表面的な解釈だが、意味は「友達でいてくれる?」だ。
物語は十才くらいの少年 RAJ が、幼なじみの TINA および POOJA の二人とシムラというインドの駅で別れるシーンから始まる。RAJ の父親はロンドンへ行ってインターネット関連のビジネスを起業し成功する。インドってこんなに明るいのかとびっくりするくらい色彩が鮮やかだ。
十五年が経ち、青年に成長した美男美女が再会して恋愛ドラマをくり広げる。製作は2002年で、主役は三人とも二十代。今はボリウッド映画を代表する男優女優が初々しい演技をする。はずであるが、どうしてあんなにきめ細かく役になりきって完璧な演技ができるのかとため息が出るほど上手だった。演技は単なる物真似だと思っていたが、深い理論と修練と意味があるのだろうと気付かせられた。最後はヒンズー教寺院で結婚式、味のあるハッピーエンドで終わる。
激痛で座って居れず、寝転ぶことしかできなかった時期である、毎日観た。二回三回見ることもあった。三ヶ月経てば九十回。その後も DVD を買って時間があれば見たから二百回は見た。セリフや顔の表情や小さな仕草まで覚えてしまった。それでも見飽きない。五十肩の痛みがなくなっても見た。病弱だったから慰められたというだけではなかった。
二百回も見たということは驚きがいっぱいあったということだ。好きだけでは十回以上は難しい。同時に自分は気狂いかとも疑った。そこで会う人ごとに印象を話し鑑賞を勧めた。感想を聞いたり反応を確かめたりして自分の正気と狂気を知ろうとした。映画を語れるか、芸術を語れるかのテストになった。さすがに微に入り細にわたって説明する人はいなかったが、誰もが良い映画だと称賛した。自分の価値観、善悪の基準も的はづれではないと安心した。ちなみにアマゾンのレヴューでは星五つ、人気最高だった。それでも世間ではマイナーな存在だ。
インドの映画に関してはそれまで二つのことしか知らなかった。ハリウッドより製作本数が多いことと、キスシーンを禁じられていることである。二十年ほど前に朝日新聞で、キスする寸前で場面が転換する映画を見てインド人は興奮していると書いた記事があった。キスもできない映画とは随分前近代的で遅れているなと思った。その記事はボリウッド映画に嫌悪感を抱かせるプロパガンダだったかもしれない。見てみようかという興味は起こらなかった。
五十代のナタリアというおばさんにあった。ラトビアにいたロシア人だというが、二十年ほど前にアメリカに移民してきたという。似たような名前でナターシャが「戦争と平和」に出てきますねというと、「私の本名はナターシャでナタリアはニックネームです」といった。ボリウッド映画を知っていますかと聞くと、「私はボリウッド映画の大ファンです。ソ連はインドと良い関係だったので、インドの映画がたくさん輸入された。十代の頃はボリウッド映画ばかり見ていました。インドの俳優は英雄でした。」英雄は ‘HERO’ の訳だが、大人物というより憧れの人という意味合いが強い。大好きだったそうである。
いわれてみればソ連製作の映画なんて「戦争と平和」以外聞いたことがない。それも退屈極まるという評判だった。共産主義の国に娯楽なんてあるのだろうか。国が手がけるのは思想政策の宣伝と洗脳ばかりのようだ。そんな行き詰まるような社会にインド製の映画だけは洪水のように輸入された。インドはソ連製の武器輸入国だったのだが、代わりに苦手な娯楽映画を供給してくれる得難い国だった。
長期間、一国、社会を治めるには人々の間に娯楽は欠かせない。そのことを資本論も共産党宣言もマルクスもレーニンもスターリンも言及しなかった。さあどうする。ユーモアも笑いもない恐怖生活では人々の不満は鬱積するばかりだ。しゃちこばった左翼思想家と政府に民衆を思いやる余裕はない。そこで政府の役人も観たのだろうが、ヒンズー文明の叡智を借りることになった。
MUJHSE DOSTI KAROGE! ではキスしない。そのことをアメリカ人はみんな気づいた。ご法度を馬鹿にするものもいた。ところが一緒に鑑賞した一人が言った「キス無しでこんなに深い愛情表現ができるとは驚きだ。ハリウッド映画はキスばっかりでうんざりする。何の感興も余韻も残らない。われわれは何か大切なものを失った。だいたいキスしてしまったらその後何をするんだよ。」
アメリカ人もソ連と同じように実は唯物論の民だ。キスが愛情表現の公式になった。公開される映画ごとにキスが氾濫する。千年前の中世が舞台でもギュッと唇を押し付ける。時代考証しないのだろうか。フレンチキスは二回する、イタリアは三回、もっと東へ行くと四回だそうだ。日常の挨拶様式になっている。人にあったら、またキスかとドン引きする人もいるという笑い話を聞いた。
唯物論文化圏では物と物とが接触するのがよほど大事なのだろう。ソ連では書記長や首相など国のトップクラスのリーダーたちが抱き合っている写真がよく配信された。異様に見える。日本はお辞儀、仏教は合掌が公式の挨拶である。ボリウッド映画には夥しい人が登場するが、キスはおろか抱擁も無い。上品に見える理由の一つかもしれない。
MUJHSE DOSTI KAROGE! では顔の表情や知的な会話で若い男女の心理を鮮やかに表現している。この点からもキスシーンは必要なかった。キスシーンの禁止は映画産業にとって死活問題ではなかった。知性で勝負するという余裕があったのではないか。インドは唯心論の国だ。キスしなくたって服装、音楽、ダンスなど表現手段は無数にある。映画も三界是れ唯心作だ。映像も物を映すようでいて、本当はココロを表現している。
唯物論のハリウッドではキス場面は必需品だった。そして必需品なしの製品は欠陥品だと理由もなく思い込んだ。日本の大新聞も唯物論者だからココロの深さを想像できなかった。想像できないほど知性がないからボリウッド映画を軽蔑してきた。インド人はキスシーンなしで興奮すると書くのなら、なぜ我々はキスシーンで興奮するのだろうかと問題提起するのが公平というものだろう。

糖病記(8)

糖病記(8)SCIATICA, 座骨神経痛

令和元年十一月二十五日(月)のお昼前、バス停から隣町の中心街に向けて歩いていた。マイペースでリュックは軽く、道は平坦で気温は涼しかった。枯れ葉が落ちた木々の間から川面や対岸の家並みが見渡せた。何もかも平常で平穏だった。
突然なんの前触れもなく右足のふくらはぎ、右下下肢の裏に小さな痛みを覚えた。あれっという感じ。真っ直ぐ歩けなくなって、右足を外側に向けてびっこ歩きにした。まもなく痛みが下下肢から上下肢へ、太腿の裏に上がってきた。右足の裏全体が痛む。力が抜ける。ペースを落として歩く。一歩一歩痛みの程度を味わいながら歩を進めることになった。生まれて初めての経験で、年齢のせいだろうと思った。
そこから6キロの道のりを歩き切って帰宅した。激痛ではなかったのでごまかしごまかし歩き続けることができた。不快感は続くが掃除や薪割りなど日常行動には差し支えなかった。むしろ動き回って仕事すれば痛みも忘れ気分も良い。ところが座ると耐え難い痛さがつのる。太ももの裏の神経を圧迫するのが一番悪い。特に坐禅の姿勢は辛く坐り続けることができない。正座も一時間は長すぎてできない。
最初に痛みを感じたふくらはぎは、長時間圧迫する姿勢がないためか痛かったことをすぐ忘れてしまった。いつの間にか痛みそのものも消えた。治癒と言えば治癒である。太もも裏の痛みはひかない。そして腰回りに痛みが伝染した。一番楽な姿勢はうつ伏せで寝ることになった。

週末に友人夫妻が来たので座るのが苦痛だと相談した。二十代の彼女は「それはSciatica という、私にも経験がある。」と云った。「6週間くらいで治る。治療用の簡単な体操を教えてあげる。」という展開になった。若いのはいい。老化が原因なら治らないという暗澹たる気持ちは変わらなかったが、とにかく症状名だけはわかった。辞書には「座骨神経痛」とある。
人体には5個の腰骨がある。脊椎の下部でヘソの裏から下にある背骨だ。背骨は神経を保護する役目をしていて、頂点は小脳に接続する。腰骨から三本の神経が出ていて、それらが骨盤を通るときに一本にまとめられ太腿の真後ろを通り、ふくらはぎを通り足首に達する。それが坐骨神経で、神経の中では人体で一番長い。
神経は鞘の中に入っている、というか神経鞘が保護している。だから神経は外部から切断されない限り損傷することは稀だ。ほとんどの神経痛は神経そのものからではなく、神経鞘が圧迫されたり位置がずれたりすることから来る。
ふくらはぎが痛くなったことはいまだに解せない、神経鞘圧迫の理由がないからだ。毎日ではないが8キロ歩くのが習慣になっていた。わずかの偏った歩き方が、数年すると無理が出てきたのだろうか。

はじめに絶望ありだったが、一週間、二週間と経つうちに現状認識が変わってきた。友人の希望的忠告も力になった。治療法はあるかというとはっきりしない。薬もあるがどこまで信用できるか分からない。医者に診てもらうにしてもネットの情報以上の診察は期待できない。鍼も勧められたが痛いのはいやだ。神経を刺激して神経痛を治すのは理論的に無理がありそうだ。MRI 検査しても効果あるかなあ、というような状態が続いた。ひょっとしたら時間と休息が一番効果があったりする。
神経鞘の圧迫が問題ならば圧力を除くことが大事だ。次に正しい位置に神経鞘を置き直すこと。まず痛い箇所を指圧したのだが、逆効果だと気がついてやめた。指圧は血液やリンパ液が流れる筋肉の異常には効果抜群だが、神経鞘を圧したら壊れてしまう。神経鞘は体幹を正して歪みを除くのが一番だろう。放っておけばよい状態で休息させるべきだ。整体法に体幹を下から上までまっすぐに治す姿勢がある。中腰で壁に背中を押し付けるだけだが、藁をも掴む一心で一日十回以上やった。
食事だけは腹一杯食べた。食事を摂ることは生きるエネルギーと栄養を摂ることだそうだ。寝ている間に細胞が新陳代謝される。新しい細胞の材料を供給しなければならない。ご飯と味噌汁が一番よい食材なのだそうだ。脳も肉体も十分な栄養が必要だ。そのせいもあるだろうか、痛みは少しずつ減り始めた。

十年以上前の話だが、ニューヨークで本屋へ歩いて行く途中両脚の付け根、腰と脚の境目が痛くなったことがあった。前両側が同じように痛いからびっこ歩きにはならなかったが、ゆっくりゆっくりコンクリートの道を進んだ。マンハッタンの真ん中で行き倒れになる悪夢が頭をよぎった。
本屋で何冊か買い求めて帰ったのだが、その中に剣術家の本があった。柔軟体操は筋肉を弱体化させるだけでなんの意味もない、老人になればみんな筋肉が弱って柔軟体操が楽になるとあった。身体の捉え方に落とし穴があったと気がついた。
当時は柔軟体操に熱を上げていた頃で、立った姿勢から掌が床についた。真向法を教えてもらって、開脚で座って前傾すると腹が床に触った。股割りが気持ちよかった。達成感が半端なかった。
柔軟体操は手足が届く範囲を伸ばし身体の動きが柔軟になる。知識としても実践としてもある程度学んだほうが良い。同時に身体を痛めつける面があるので良い指導者がいなければしない方がよい。股割りもやりすぎたのだろう。ニューヨークで痛みを覚えて以来、弊害を認めてそれきり極端な柔軟体操はやめた。痛みはいつの間にか消えた。ある種の神経症ではなかったか。
大きな神経症は2回目だ。今回も治るかもしれない。

里山文明

里山文明

「ポツンと一軒家」テレビシリーズがユーチューブにあるのを知った。一作ごとに偶然と未知の物語が展開され、興味深い事柄が映し出される。教えられることが多い。孤立した一軒家の物語は日本を映し出している。

愛知県の今泉さんの話は面白かった。最初に現れたときは下草刈り中だった。
「下草刈りは林や花などに日が当たるようにする作業だ。草刈りの最中も神経を研ぎ澄ませている。ツツジなど自生している花や草木を残す。数年すれば花が咲き乱れる山になる。種など買わない、自然の可能性を伸ばすだけだ。」
「人間が手をつけないのが自然ではないですか。」
「いや里山文化から見れば、生活の中で間伐をし花木を保護してその結果できたものが自然だ。何もせず草ぼうぼうのままほったらかしているのは自然ではない。」

今泉さんは江戸時代から続く里山文化を子供のころから肌身で体験した。田畑を作り、家の裏は山だった。近所の人も一緒に薪をとったりキノコや山菜を採った。山が荒れないように定期的に間伐した。頻繁に人が山に入り、動物の方も棲み分けて村に降りることは少なかった。里山が自然を作った。
他の動画でも秀逸な話が出てくる。和歌山県で若夫婦が田の草取りの助けにしようとヤギを飼っていた。子が生まれた。白い親ヤギから黒い子ヤギが生まれた。珍事件として新聞に載った。新聞を読んだ人がレポーターに訪問することを勧めた。訪れてみると驚くべき展開になった。
静岡県の茶畑で黄色い絨毯が覆っているような写真があった。やっとたどり着いた場所では、緑の茶畑と黄色の茶畑が並存していた。聞いてみると、一枚の黄色い茶葉を見つけたことから始まった。挿し木して増やし試しに飲んでみると香りが甘い。緑茶より栄養分が濃い。甘くて、飲みすぎると胃を壊す。飲み方食べ方から工夫し、炒ったり蒸したり製品化を考えた。県の一等級銘茶と認定された。
突然変異と言われるが、植物も動物も変異種が現れるのは珍しくないようだ。普段は見逃すのだが、見える人には違いが見える。功利主義からではなく興味が湧いて育てようとする人は少なくない。何億枚の葉っぱの中から一枚の黄色い葉っぱを見いだすのは研ぎ澄まされた感性の持ち主だろう。
茶畑を耕作しながら黄色茶を見出したように、先人は桜の変種も見出した。多数の異なる桜があるのは里山文化が日本中に根付いていたせいだ。人々がこぞって新種を見つけようとした。八百屋へ買い出しに行かなくとも、自生の山菜を収穫できる。その中からじゅん菜や大根やネギなどに成長した。錦鯉や金魚の種類の多さはは芸術的だ。稲も同じようにして発見され栽培されてきたのではないか。
人は一人では生きられないとはよく聞く言葉だ。普通は人はお互い支え合って生活が成り立つという意味に理解する。実は土も水も山も動植物もお互いに助け合って生きている。自分が生きるとは環境と共に生きることで、それを里山文化と言った。山への入り口には鳥居が建って神社があり、鎮守の森と言われた。それが日本全国にあった。日本は和の国、神道の国だった。
人と人だけでなく人と周囲の環境は切り離せない。家族は夫婦が元になる。個人としての男と女なら切り離せられるが、夫婦と家族は概念として一体だ。仏教はお釈迦様個人の苦しみから始まったが、依正不二論の結論に至った。依報(周囲環境)と正報(自己)とは分けられない。里山文化は里と山が一体の生活方法論だ。
動かない花や野菜だけでなく山には狼やイノシシや鹿もいる。彼らも餌が欲しい。時に里に降りて畑を荒らす。人間の側としては退治せざるをえない。猟友会が村や町にある。里山文化の徒としては山と里は血を流さず共存共栄したい。本意に背く殺生には懺悔と報恩感謝の念を表す。そのため一年に二、三回お寺で法要をする。その場面も放映された。
縄文遺跡の発掘はここ五十年で長足の進歩を遂げた。最古の土器は二万年ほど前に遡る。集落のそばには漆や栗の木が植えられていた。大木を伐り家を建てた縄文人が野菜を栽培しなかったはずはない。縄文文明とは里山の文明でもあった。大昔から日本人は里山文化を実践し続けてきた。
日本の里山文化は、自然の中から悪いものは退け良いものを守り育てる。その結果出現するのがお互いに持続可能な自然だ。里と山は一つであるという世界観だ。縄文文明は栗と漆と貝の時代から里山文化だった。邇邇芸命と木花佐久夜毘売のクニ、神武天皇朝、万世一系の天皇が知らすのは縄文時代から一貫して里山文明だった。

里山文明と言った日本人学者はいない。いわゆる学者は西洋の論文を読んで飲み込むのが学問であり出世の道と心得ている。そして西洋に里山文化はなかった。
手をつけない雑草だらけの草原と聞いて思い起こすのはイギリスだ。見渡す限りススキのような草だらけで森が見えない。芝生にしても一種類の草だけで、お城のような広大な芝生もひたすら刈り続ける。人が快く生きるために花も木の芽もすべて刈り取る。ただ一色の綺麗な芝生、人工的な庭園。見事な一面性、単純性だ。
アメリカがイラクを攻撃した時クルド族が独立目指して立ち上がった。クルド人女性兵士が気勢を挙げている写真があって、背景に草原が写っていた。雨が降るんだ。聖書には人がライオンと戦った話が出てくる。クルド族の地方は一万年前にはゾウやライオンがいたと思われる。近くにレバノン杉で有名な国があるが、ローマ時代すでに軍船や商船を作るために切られていた。今や消滅寸前というが、杉が消滅すれば沙漠になる。なぜ植林しなかったのか。里山文化がなかったからであろう。
トマト、ジャガイモ、タバコ、トウモロコシ、かぼちゃ、ナス、無数の豆類、
現在我々が食している多種多様な食材は、日本を除けば新大陸原産ばかりである。
西洋原産ってなんだろうかと考えたとき、小麦、大麦、ライ麦くらいしか思いつかない。地中海沿岸ではオリーブやイチジク。馬に牛、羊とヤギは肉食文化、牧畜文化を生んだ。馬を乗り回す、牛や羊をコントロールする、肉、乳、皮など主に動物の扱いに気が回った。草は動物が食べられればよい、木は伐るだけ。
西洋の近代思想(実はずーっと)は自己中心主義だ。自己と他者を峻別する。周りの自然は他者だ。したがって純粋な自然とは手を加えない密林や草ぼうぼうの地だ。純粋な自己もまた他者から侵入干渉されない個人である。人と自然は分断する。日本の学校では西洋思想と西洋文化ばかり教える。これが、レポーターが「手を触れないのが自然ではないですか。」と言った背景だ。
人は正直でもいられるが嘘を言う可能性もある、いつ裏切るかわからない。人間は完全でも真理でもない。自然は嘘をつかない。嘘を言う人間が手をつけたら自然が不自然になる、不真理になる、汚れる。
「はじめに言葉ありき」(新約聖書、ヨハネ伝)とはよく言ったものだ。自分と他者、自分と社会、自分と世界のように、はじめに言葉を定義すると自己と世界との分断が決定的になる。そして自分と自然も隔絶される。西洋の学問は生活から始まったのではなく、観念、言葉、論理から始まった。言葉が峻別した自己と自然を実際の自分と自然だと思い込んだ。

英語では自然の哲学と実践のように表現する。哲学は言葉で表現する理念だ。言葉だけでは生活にならないから実践を加えて行動になる。まず言葉が自己と他者を分けるから後で統一する作業が必要だ。言葉も生活も自然も分断される。
西洋個人主義の自然と里山文明の自然とは明らかに異なる。里山文化は縄文時代から日本人が実践してきた。初めから終わりまで多様性そのものの里山文化だが、生活から出発するから一語ですべてを表すことができる。
日本の根本問題は偏頗不完全な西洋学問への崇拝がすぎることだ。西洋風ライフスタイルが上等と思い込んでいる。そのため創造発展の方法である里山文明を忘れようとしている。学校を信頼しアスファルトとビルの都会に生活すれば、里からも山からも切り離される。自然を失い自分も失う。
「ポツンと一軒家」シリーズを見よう。

糖病記(7)

糖病記(7)

火曜日に歯医者に会った。さっそくこの夏はどうだったかとお互いに確かめ合った。

「チェーンソーで足を切ってしまった。六月三日の夕方で、単なる不注意だった。骨がわずか切れた。手術になって二泊した。三週間は松葉杖生活だった。十週目でほぼ治ったけどね。」
「それは痛いだろう。」
「痛かったけどほとんど治ってきた。」
「でも今も痛いだろ。」
「そうなんだ。痛みはなくなるのか、いつまでも続くのかわからないので困っている。」
「骨そのものは痛みを感じない。骨を包む組織が壊れると痛い。鶏の骨を食べるとき骨にくっついている肉を食べるだろ。肉の部分が損傷すると激しく痛い。その組織はタンパク質でできていて修復が遅い。」

患者の苦痛と毎日格闘する歯科医だけの事はある。痛みが感じられる部位や仕組みをよく知っている。骨を包むタンパク質組織については習ったことがあったがコロリと忘れていた。痛の大本だとは思わなかった。
皮膚組織は回復したはずなのになぜチクチク痛むのだろうかと疑問だった。リンパ液や腫れは不快ではあるが、本命ではなかった。骨とそれを包む皮膜が元どおりに戻るまでは痛みが続く。「骨を断つ」が命懸けの行為であり命に関わる言葉であることを知った。

糖病記(6)

糖病記(6)

七月二十日、二十一日、二十二日と招待客を迎えてのイベントがあった。四十五人ほどの集まりになった。スケジュールを伝達する、作務してもらう、一緒に御経を上げるとかお願いすることが多い。チェーンソーの怪我から六週目で自由に動ける左足ではなかったが、不具合を忘れて飛び回る羽目になった。重労働はしなかったが、体重をかけることが足にとっては大きな負荷になる。
猛暑であった。気持ち良いので外で傷口に陽光を浴びた。一日目は良かったが、二日目から左足が浮腫んだ。赤黒く腫れ上がった。完治するまでは無理しないと決めていたのだが、状況のしからしむるところとはいえ油断した。腫れが続くと厄介なことになる。
足が赤黒く浮腫むのはリンパ液が滞留するからだ。手術の際肉を切った部分があり、普通に流れていたリンパ液の通り道が塞がれるとか無くなったと思われる。少痛や不快感がある。体重を掛けたり動かしたりすると痛い。動きがぎこちなくなる。
リンパ液が多すぎるのは完治していない証拠だ。皮膚、筋肉、神経細胞や血管の正常な機能が阻害される。皮膚の下の修復作業が遅れる。治りかけで運動を再開すると治るものも治らなくなる。
スポーツ選手で怪我が治りかけのまま練習を始めて一生を棒に振った人は少なくないという。専門医がみるプロでさえ失敗する。素人なら誤診を前提にして用心するしかない。完治の診断は他者からも本人にも難しい。

リンパ液の治癒は難しいともどかしく思っているうち、若い頃指圧を習ったことを思い出した。文字通り指で圧する療法だ。原則は簡単で、皮膚の痛いところや不快を感じるところを圧迫し、十数えて離す。同じことを三回繰り返す。押されたところは一時的に血やリンパ液が止まるが、圧迫がなくなると堰を切ったように体液が流れる。新しい血の栄養が患部を修復する。この原理を知ってから、腰の内部の痛みや腸の不快感をときどき手当てしてきた。
腫れている左足を恐る恐る撫でてみた。体液が多いのでブクブクする。そのまま足の上方へ何回もさすった。マッサージしながら傷口にそっと触る。痛いのだが血が出るとか皮膚が切れるとかの物理的な変化はない。だんだん平気になって傷口の中心を指圧するようになった。
翌朝見るとむくみが引いて右足と同じくらい白色になっていた。マッサージが効いた。リンパ液が流れ出すのが効果的だとわかった。生来の流路が壊されているのだから、ときどきマッサージで助け舟を出すのは理にかなっている。何が完治かイメージが湧いてきた。八週目は療養の境い目だったと思われる。あと二週間、もどかしいが焦りは禁物だ。
睡眠も大切だ、寝ている間に細胞が創造されるという。食事をとると眠くなる。消化とともに新しい栄養が傷を修復し古い細胞が死に代替品ができる。皮膚が新しくなり、髪や爪が伸び、目が綺麗になる。人は生体の不思議を享受して生きている。治癒は生体の働きが正常に戻ることで、マッサージのようなわずかな治療も治癒を手助けする。

六週目、接心があって坐禅することになった。八割しか坐れなかったが、背筋を伸ばし顎を引くと頭も視界もすっきりした。ただ坐るだけだが、正身端坐のありがたさが身に沁みた。
歩けないから六週間ゴロゴロ寝そべっていたわけだが、肉体だけでなく頭も悪くなる。なんとなく鬱になる、なんとなく不快になる、そしてなんとなく体力を失って起き上がるのがめんどくさくなる。何ヶ月も何年も寝ると筋肉も細り消化機能も排泄機能も失うのだと予想できた。
加齢は誰も避けることはできないのだが、正しい姿勢を知って実践していたことだけは儲けものであった。曲がった姿勢からは不正邪悪な妄想が生まれるばかりでなく、肉体まで歪み衰える。
正身端坐すれば即座に邪見が晴れる。正直を体感した最初の坐禅を思い出した。今でもあの晴れ晴れした心境に一瞬で立ち帰れる。また坐禅したいと発心した。人生は解らない、いつの間にか本当の宝物を手に入れていた。

怪我を忘れるまで快復できるかどうか不安ではある。冬になると傷口が疼くのかもしれない。それでも快復の見通しがついて、ドライブ中に安心感から鼻歌が出た。すると歌詞、リズム感、口、喉、体の動かし方を忘れていたことがわかった。八週間ひたすら怠けたのだから無理もない。精神的な治癒も完治の要素だといわねばならない。
八月十二日はバス停中心に5キロ歩いてみた。完歩する自信がなかったので途中で車に乗せてもらった。まず歩けることを確認できた。
八月十九日は思い切って全行程八キロ徒歩に挑戦した。時間はかかったが完歩
できた。汗びっしょりで帰宅して靴下を脱ぐと、左足の腱が右足と同じように浮き上がって見えた。全力徒歩運動で左足がほぼ正常になることがわかった。完治だった。それ以降は療養保護ではなく工夫鍛錬の段階に入った。
(糖病記終わり、にしたい)